BichonFriseTokyo

何でブリーダーやトリマーになったかってね・・・

この仕事を業としてき20年ほど経ちますが、振り返って後悔したこともなく、楽しく過ごしています。

幼少期、30数年前に父が愛犬の友という雑誌で一世風靡していた時代のマルチーズを私に飼ってくれたのです。

その頃、わが家より立派な犬舎が庭にあり、セッターやポインター(クレーン射撃をしていて関係で)、
そして、ピレもいました。
シェルティーもいました。

育った三沢は、米軍基地と自衛隊と民間航空機の滑走路が一緒で100メートルも歩けば、基地のゲートがありました。

そして、周りはみなアメリカンハウスばかりで、お隣もお迎えも裏も・・・・みんなアメリカ人でした。

だから、小学校低学年まではアメリカ人の子供たちと遊んでいました。
実家の仕事は、不動産業やら米兵専用の長期滞在型のホテルとういか・・・・、マンションを提供しており、
父はそりゃ~~流暢な英語をはなしたものでした。

母も、少しずつ覚え津軽なまりっぽい英語でした

米兵の方が、国に帰るときに犬を連れていけない・・・・・。そんなことから、わが家でそのまま飼っていたこともありましたが、日本語がアメリカ人のワンちゃんには・・・・通じない
日本においていかれてしまった不安から、吠えられ凶暴なコッカ―もいました

そんなこんなで、18歳には東京に上京しOLで過ごしていましたが、ど~~しても犬のいる生活がしたかったんですね。

そして、小学生のころ飼っていたマルチーズを、犬嫌いなお手伝いさんを雇ったばかりに、玄関から逃がしてしまわれ、事故で亡くしたのです。

ショックで3日も亡骸と一緒に過ごしました。
少しずつニオイも出るようになり、その後は、また、飼ってくれる 母に促され兄と一緒に庭に埋めてあげました。

また、飼ってくれると言った母のウソにそれ以来飼っては貰えず・・・・

東京で、バブル期はまだ犬の飼える部屋は少なかったです。
あっても、ベランメイに安月給の私には無理でした。

でも、どうにかこうにか会社でもお給料がそこそこ貰えるようにもなり、マルチーズを飼う事になったのです。

まっ。その後はショーに参戦してみたり、ブリ―ディングしたりと、トリミングをせめて自分でできるようにぐらいなりたい。いずれ、お店でも・・・・持つようになったら、雇ってトリミングもしているところも数多くありますが、オ―ナ―が、何もできずでは私的にも・・・・性格的に無理でしたので、頑張ってトリミングスクールに通いました。

でもって、今はこうしてあれよあれよと40半ばに来、少しくたびれてますが

よく、お客様からは

大変ですね。お客様のワンちゃんのトリミングをして、仔犬もお世話して、大人の子もその後は順次、閉店後にお世話して・・・・・。

な~~んて言われます。

マハロさんは、きぃ~~~~!!  っと、なったりしないんですか?

はい。無いわけでもないです。でも、基本私の家族ですから 
私がいないとこの子たち、生きていけませんから。
だから、カワイイっとしか思いませんよ

そうですね・・・・しいて、きぃ~~~っ!!  っとくるのは・・・・・・・

家族が、「腹減った~~~。早く、夕飯・・・・・「 っと言われた時かな・・・

っと、まだ片付いていなく、忙しい日だった時くらいですかね~~~~

っと、こんな感じです。

いずれは、田舎でお野菜作ってこの子たちと一緒にのんび~~~り、好きなだけ大きなお庭を走らせてあげたいな・・・・・
っと、これが今の目標です。



先日、こんなバカな記事を目にし吐き気を覚えました。
トリマー情報サイトの記事投稿です。

4年目の女性トリマー。犬も特別好きでもなく、何となくトリマーとして過ごし、言う事を利かないワンちゃんを
シンクに叩きつけ半殺しにした・・・とか、冷水で洗ったとか。
接客業が好きで、飼い主さんと会話がうまい様で、この仕事をしているそうです。

こんな自分は楽だからトリマーをしていると書いてありました。

この記事・・・・。嘘じゃない?

ありえないでしょ・・・・・。ダメでしょ。 まともじゃないよ。

っう~~か、もしか本当なら早く、辞めちゃえば!!っとムカムカする記事でした。

投稿する神経も分からない。


わが家のHellobabyはすくすく成長していま~~~す。

ビションフリーゼの赤ちゃん
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